パートナーシップ

恩の恩返しについて。失恋から立ち直るたった1つの方法

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恩の恩返しについて

1、はじめに

皆さんは「恩の恩返し」というものを経験したことがありますか?

自分が受けた恩は、その人に返すのではなく、自分を媒介する回り回ってどこかの誰かに返していくという考えです。

最近、まさしくそれだという経験をしました。失恋を通して学ぶことは本当に多いと思います。

そして僕はやっぱり表現者なので、ここから得られたもの、学んだことをこれを読んだ人へシェアしたいと思います。

恋や愛に悩んだり、大事な人がいるからこそ苦しいと思う人へ届けばいいなと思います。

**

知ってる方も知らない方もいますが、
彼女に別れを告げられました。

よくある失恋だったでしょう。

彼女は僕の元を巣立っただけだし、きっといずれ本当に心から愛し愛されるという意味をその身体で学ぶのだと思います。

だから、これは見え方としてはバッドエンドだったかもしれない。でも、今ではこれで良かったのだと思えるようになりました。きっと彼女が成長し僕と対峙をしたのなら、その時はきっと友情のパートナーシップをとれることを切に願います。そう信じたいです。

 

2、僕が受けた恩

皆さんは恩の恩返しを受けたことがありますか?
僕は昔、師匠に言われていたことがあります。

「もし、これに感謝を感じているのならば、それは俺に返すんじゃない。お前みたいに求めらている人に、同じように返しくれ。それが俺に対する恩返しだから」

僕は以前、Yという女性とお付き合いしていたことがあります。2年ほど前でしょうか。経済的にも、精神的にもズタボロだった時代です。間違いなく、僕は最底辺にいました。

今の僕がいるのはYがいたからです。断言できます。
あの時、向き合って、何もできない僕を抱きしめて「そんな祥平さんでもいいんだ。あなたはそのままでいいんだ」そう言われて、あの儚い笑顔に、時々見せる影に僕はなんども救われました。
バカみたいに泣いて、抱きしめました。だから、僕は生きようと思いました。僕は前を向けました。
最後の最後、彼女は僕の目の前から突然消えてしまったけど、ひどく落ち込んだけど、あの出来事は僕の人生の中で、間違いなく影響を強く受けたものです。

 

2−1、その恋の意味

そして今回。
終わってみると、その話をした時同期に言われました。
「恩の恩返しをしたんだね」と。

僕とMが出会ったのは去年の9月です。
間違いなくMはあの当時絶望の淵にいました。
何度もあの子は死んでしまうのではないだろうかと思いました。
全力で向き合って、全力で愛を伝えました。
愛していました。
「MはMのままでいい。弱くても、今は何もできなくても生きてくれてるだけでどれだけ僕の力になっているんだろう。今は何もわからないなら、なんのために生きていいのかわからないのなら、今はせめて、僕のために生きて欲しい」
何度も言いました。

僕の向き合いとMの頑張りで、Mは今の道を選びました。

事実だと思うし、そんなそんなと謙虚になるつもりもありません。
そして、別れの時が来ました。
その別れの時を考えた時に、僕がYに受けた愛をそれは同質なのではないかと思いました。

僕はあの時、Yに抱きしめられなければ、そんなあなたでもいいと言われなければ、おそらく命を絶っていたでしょう。この話は僕の家族も知らないことです。
でも、踏ん張れたのはYの愛があったからです。

 

あの当時のMは僕がいなければいけませんでした。命をすがる場所が必要でした。それが僕だったのだと思います。

だから、僕はYに受けた恩をMに返していたんだと思います。そう思うと、なんだか筋が通ってしまって、心からMに幸せになって欲しいと思えました。

これが、恩の恩返しです。

3、自分を許せないことの意味

だからと言って、僕はやはり、気持ちが納得できませんでした。

Mと例の男が映っている写真を見かけてしまったときには、時間が止まりましたし。

あれだけ愛していたあの子への憎悪の気持ちと、罵りの言葉が浮かんで来てしまって、それがショックで、僕の意味ってなんだったんだろう。

僕の存在ってなんだろうと思いました。

 

一度は命を投げ出したくなりました。

でも、そんなときに会社の人に聞かされた曲がMr.Childrenの「しるし」でした。

下記一部歌詞を抜粋します。

 

「いろんな角度から君を見て来た。そのどれもが素晴らしくて、僕は愛を知るんだ。「半信半疑=傷つかないための予防線」を・・・」

「面倒臭いって思うくらいに真面目に向き合っていた。軽はずみだった自分をうらやましく思うほどに。」

「泣いたり笑ったり、不安定な想いだけど、それが君と僕のしるし」

「共に生きれない日が来たって、どうせ愛してしまうと思うんだ」

「狂おしく鮮明に僕の記憶を埋め尽くす」

 

抜粋終わり

 

僕は一時期、愛がわからなくなっていました。愛とはなんだろうと思っていました。

人は究極、愛し合うことはできないのではないのかと思っていました。

だって、本気で向き合って、本気で未来をみて、本気の未来を約束していたからです。彼女の親にも挨拶を済ませていました。

確かにその毎日は刺激は少なかったかもしれない。でも、あなたが笑顔でいてくれれば僕にはそれで十分だった。イライラすることもあった。ムカつくことも、たくさんあった。

それでも、彼女が僕の目を見つめたときに、「あーどうでもいいや」ってなってしまう。

それくらいに、彼女が生きていてくれることや彼女が僕を見てくれるだけで僕の毎日は十分でした。彼女の幸せを本気で願いましたし、行動しました。

 

終わりはいつでも突然です。

今までが届かない愛ばかりだったから。

それを受け止めてくれたことで僕は油断していたのかもしれないですね。

 

ただ、明日は必ず来るものではないから。

今日好きだと思ったら、今日好きと言おう。

その瞬間を愛おしいと思ったら、愛してると口にしていました。

 

でもやっぱりいきなりの終わりは悲しすぎるし、

やっぱり忘れられない。ごちゃごちゃした感情が僕を襲って、死にたくなったし、僕は僕を否定した。

吹っ切ろうとしても、それで彼女への愛が消えてしまうかもしれないと思ったら怖かった。

全てをいっそのこと否定してしまいたかった。

自分を許せなかった。その感情が思い浮かんでしまう自分が許せなかったし愛せなかった。

 

でも、この歌を僕のことをよく知ってる人が歌ってくれたときに、

何より思い出すのは憎悪でも、嫌悪の言葉でも、蔑称でもなく、

「愛している」という言葉だけでした。

彼女の笑顔だけでした。

よくわからないけど、涙が溢れていました。

 

確かにあのとき、僕は彼女へ本気でぶつかって生きました。

嫌われるとか考えませんでした。その子の全部を理解したくて、受け止めたくてとにかく必死でした。自分の体が疲弊しても構わないくらい、とにかく向き合いました。

だんだん、笑顔が増えて来て、隣で眠っている彼女の寝顔が愛おしくて。本当に、軽い気持ちで声をかけた一番最初の自分を羨ましいと思うくらい、本気で7ヶ月生きて来ました。文字通り命をかけて。

 

嘘ではないんです。

あの時の気持ちは嘘ではないんです。どんな終わりを迎えようとも、あのときに本気だった気持ちに1mmも嘘なんて混じっていなかった。ならば、それは僕の大切な一部なんだと思いました。

 

僕は自分を許していいんだと思いました。

たくさん至らなかったことがあったと思う。

情けない、力もない、まだ受け止めきれないくらいちっちゃいちっちゃい僕の中の器で、それでも受け止めたいと腕を伸ばしていたことは、それだけで価値なんだと思いました。

 

僕の目が届かない場所で結果彼女が笑顔になってくれるならそれでいいんだと思いました。だって、それが愛じゃないですか。

 

心屋さんのブログで「自分を愛すること」を知りました。

 

愛するでもなく

愛されるでもなく

大事なことは「愛である」ということだ。

 

そこにはそう書いてありました。

 

 

4、失恋に苦しむあなたへ

自分を責めないでください、といっても難しいと思います。

僕も未だに自分を責めてしまうけど、

 

でも1つだけ重要な事実があります。

「どんな終わりだとしても、そのとき愛したあなたの心は本物だ」

ということです。本音だったんです。

 

だって、それは卑下されるものでも、バカにされるものでも、なんでもない。

あなたの大事なあなたの素敵を映し出すものじゃないですか。

 

周りをみてください。

その人は離れていってしまったかもしれない。

でも、その代わりあなたを支えてくれた人がたくさん、たくさんいるのではないでしょうか?

 

一緒にご飯行ってくれる人

とりあえずバカにしてくれるけど、気にすんなっていってくれる人

相談に乗ってくれる人

ただ話を聞いてくれる人

寄り添ってくれる人

一緒に銭湯行ってくれる友達

 

みんなみんな、あなたの存在を愛してるんですよ?

あなたの行いや、日々の周りとの向き合い方が、それを作り出したんです。

 

あなたはとっくに、愛されています。

あなたはとっくに、生きることを認められてるんです。

あなたはとっくに、周りを愛していて、

あなたはとっくに、誰かを幸せにしている。

 

それが「愛である」ということではないでしょうか。

 

 

大切な人がいきなり目の前からいなくなったら悲しいですよね。

罵詈雑言出て来ると思う。そしてそのあとにそれを発した自分を責めると思う。

わかります。めっちゃわかります。

 

でも、良かったじゃないですか。

その子が生きてくれていて。死に別れじゃなくて。

生きていればまたどこかで会う瞬間が来るかもしれない。

 

今は悲しくて自分を責める日々かもしれない。

今は落ち込めばいい。今は遊んでていい。今は愛なんて信じなくていいから。

 

だからどうか。

自分のことだけは否定しないでください。

 

本気で向き合ったあなたが、僕は最高に素敵な人間だと思うんです。

これは僕が僕自身に贈った言葉でもあります。

 

しばらく人を本気で好きになることはないと思う。

愛してるよって言葉は言えないと思う。

だけど、いつかはくる。

明日はきっといい日になるし、

いつかきっと心から受け止め、受け止められる人が現れる。

 

そのときまでとっておきましょう。

「あなたの事を愛しています」

 

この言葉は。

きっとそのときがきて、発したあなたの言葉はその人の魂の底に響くから。

痛みや苦しみを乗り越えた人の魂は本当に美しいから。

 

だから今は落ち込みましょう。

とことん。

 

そしてだんだん、自分のペースでいいから、

立ち上がって、なにくそーーーって見返してやりましょう。

誰よりも幸せになりましょう。

 

長文乱文大変失礼しました。

恋に悩み苦しむ人に、どうか届きますように。

 

八王子生まれのプロフィール写真家・祥平

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