エンディングフォトとは「生きる」を宣言する写真である
皆さんはエンディングフォトという言葉をご存知でしょうか。
人はいつ死ぬのか、わかりません。
だからこそ、今一番自分が輝いている瞬間を写真に収めておく。
それを葬儀で使ってもらう。そういう用途で使われる写真です。
でも、果たしてそれだけでしょうか。
僕はこの言葉がとても尊く、年齢に関係なく、誰もが考えるべき話題だと思っています。
一つだけお願いがあります。
この話題を、どうか他人事として俯瞰しないでください。
これは、明らかに今すぐあなた自身に関係するかもしれない、自分事です。
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1. エンディングフォトとは?
エンディングフォトとは何か。
「エンディングノート」という言葉をご存知でしょうか。
人生の終盤に備えて、治療や介護、葬儀についての希望や家族への伝言を記しておくノートのことです。
それの写真版、と思っていただければわかりやすいかもしれません。
自分の最後を考えたとき、今一番輝いている自分を残しておきたい。
それを仏壇に飾っておきたい。
言葉を変えると「終活写真」や「遺影写真」と同義です。
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2. なぜ必要だと考えるのか
こう思う方も、きっといると思います。
「不謹慎じゃないか」
「縁起でもないことを言うな」
「まだ元気だし……」
「早く死んでほしいと思われているみたいで嫌だ」
でも、はっきり言います。
その考えは、大きな間違いです。
そしてその時が来たとき、間違いなく後悔の涙を流すことになると思います。
なぜそこまで言えるのか。
僕自身に、影響の大きかった2つのエピソードがあります。
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2-1. 子どものころのこと
今の僕しか知らない人は絶対に知らない顔ですが、
僕は子どものころ、とても人見知りで、自分を殺したいほど嫌いでした。
半年ほど、いじめを受けていたことがあるからです。
この世で一番辛いことは、「自分がいないこと」です。
自分が空気みたいに扱われ、あたかもいないように無視される。
そのとき毎日のように考えていたのは、
「どうやったら死ねるのかな」
「死んだら、この苦しみから逃げられるんだな」
ということでした。
死にたい。
生きるって何だ。
なんで僕はこんな辛い現実を生きなければいけないんだ。
そんな毎日でした。
転機は、母がそれに気づいてしまったことでした。
「気づいてあげられなくてごめんね」
母は泣きました。
そのとき初めて、理解したんです。
「あぁ、僕は死んじゃいけない人間なんだ」と。
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2-2. 祖母のこと
母方の祖母が東京に住んでいました。
小さいころから可愛がってもらっていたと思います。
でも正直、あまり好きじゃなかったんです。
マイナスなことしか言わないし、昔の価値観をそのまま押しつけてくるから。
「いい学校に行き、良い会社に入れば安泰だから」と。
母はいつも言っていました。
「おばあちゃんの遺影の写真、撮ってあげてね」
「はいはい、そのうちね」と、僕はいつも返していました。
正直、あまり撮る気がなかった。
でもその日は、突然来たんです。
帰宅したら家族が誰もいなかった。
しばらくして帰ってきた家族が、ぼそりと言いました。
「おばあちゃんな、死んだよ」
冗談だと思いたかった。でも、あまりに悲しそうな顔だったから、現実だとわかりました。
あの時、撮ってあげていたら。
何か違ったのかな、と。
僕は何のために写真を撮っていたんだろうと、わからなくなりました。
身内一人、写真で幸せにできなくて、何が「人が好き」だよ。
何が「綺麗を写す」だよ。
命を切り取り、そこに存在を残していくのが写真なのに。
僕はそれができなかった。
後悔だけが残ったんです。
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3. 写真は何を写すのか
写真って、何のために撮るのでしょう。
写真は、何を写すのでしょうか。
あくまでも僕の持論ですが、写真とは良くも悪くも、その人の生き様をありありと映し出すものだと思っています。
その人の魂の在りかを、ブックマークするもの。
だから僕は、汚くたっていい。
その人の「今、生きている証拠」を写していきたい。
僕がその人の魂の証人になりたいと思った。
テーマが女性を写すことである僕が、それでも「人を写したい」と思うのは、そういう理由があるからです。
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4. 写真にお金がかかる理由
写真って高いと思いますか?
ただ撮った風景と、イベントで切り取ったものと、家族と撮った写真。
どれも「あなた」であることは変わらないかもしれない。
でも、僕がその人を撮るときに一番重要にしていることは一つだけです。
「この人はどうやって生きてきた人なのだろう」
「この人は人生を通して何を伝えたいんだろう」
それと向き合い、時には意見を交わしながら、その時間に命を懸けて撮る。
その写真はあなたの生きた証です。
そこに意味がないわけがない。
【写真】にお金を払わないでください。
【行為】【方向性】に価値を感じてみてください。
そうすると、絶対に後悔しない写真になりますから。
エンディングフォトにご興味がある方は、お気軽にご相談ください。
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5. エンディングフォトに年齢は関係ない理由
エンディングフォトは、お年寄りや病気の人だけに必要なもの、と思っていませんか。
断言します。それは違います。
エンディングフォトは、今を本気で生きている人であれば、誰にでも必要なものです。
エンディングフォトとは、「終わるため」に撮るんじゃない。「生きるために」撮るんです。
人生と向き合って、自分の生きる意味を考えて、「僕はこう生きるんだ」と覚悟を決めるために。
自分に対する宣言のようなものです。
「死ぬために綺麗な写真を撮ろう」じゃなくて、
「生きるために、生きることを決めた」写真になるんです。
これはお年寄りだから必要、という問題じゃない。
3.11で僕たちは知ったはずです。
僕たちを取り巻いている「当たり前」は、当たり前じゃないということを。
日常こそが尊く、日常こそが何よりも守ることが難しいということを。
命は有限です。
でも、生きるという意思は、何よりも強い。
今日どう生きていくかを考えて、
今自分が生きている意味を考えて、
未来をどう彩っていきたいかと、本気で自分と向き合うこと。
それは恐らく、辛いことです。
いかに自分が無力で、考えないで生きてきたかということに気づいてしまうから。
でも、気づかない人生よりも、気づいてからの人生には、素晴らしい世界が広がっています。
最後の最後まで生き抜いて、「俺は、生きたぞ!」という人生になるから。
その証明の写真が、エンディングフォトなのだと僕は考えます。
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なぜ僕らはこの世に生を受けたのでしょうか。
それを自分で決めて、定めていくことが「自分の人生を生きる」ということではないでしょうか。
エンディングフォトには、一般的な「終活」や「遺影写真」以上のポテンシャルがあると、僕は思っています。
何かを考えるきっかけになれたなら、嬉しいです。