プロフィール写真
というものがある。
僕のサービスの最大のメリットは、
「希望していただければお客様が自分の好きな写真を自分で選べる」
※もちろん限度はある
というものだ。
なぜそうしたのかというと、
写真を撮っていてプロフィール写真を撮られたことがある人のボヤキを聞いたことがあるからだ。
「あんなにお金払ったのにさ、結局自分の好きな写真はもらえなかったんだよね」
だから次から選んでもらうことにした。
僕は自分の美的感覚と
人の美的感覚のズレに気づくことができたからだ。
ここでいうところの美的感覚というやつは、いわゆるプロフィール写真においての感覚だ。
最初に戻ろう。
プロフィールというものがある。
では、そのプロフィール写真というやつは、どういうものが好まれるのだろうか。
今までの経験からいうと、僕がこれがいい!めっちゃ綺麗だ!というものよりも、そうでないもののほうが選ばれたことが多い気がする。
それはその人の個性であったり、トラウマであったり、様々な事が原因になってそうなっているのだろう。
僕にとってプロフィール写真とは、
「自分の中身を写した限りなく近いもの」であると定義づける。
だから綺麗とか、構図とかあんまり関係ないのだと思う。
こちらのキレイを押し付けて、
それがその人を表す媒体に載る。
それって自分の芸実感覚を押し付けるだけの芸術家ではないのだろうか。
もちろん、それを必要とされる時も来る。でも多くはやはり本人に決めて欲しい。
本人が「あ、いいな」って思ったものでないと、それを誰に自慢できるのだろう。
そしてそれを見た人に安心感を与えられるのだろう。
僕のプロフィール写真の良いところは、
自分で写真を選べることだ。
それが綺麗じゃ状態になって、自分のセンターを飾ることができたのなら、
それって最高じゃないか?
僕の写真はその人の素敵を映し出すものだから、
全て素敵なのは大前提。
後はその中から選ぶだけなのだろう。
写真って本当に奥深いね。
ではでは!
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